アイリス・アルテミシア。
アイリス家のそれはそれはかわいい一人娘。
両親から譲り受けたその美貌と美しい髪で、幼いながらに既に周囲から行為を寄せられるほど、
それはそれは美しく可愛い一人娘。
そんな彼女の人生が転落の道をたどったのは、彼女が5歳の誕生日を迎えた日だった。
その日は、両親が帰ってくる日だった。
近隣の森で発生した蛮族の討伐に行く、と両親が出かけていき、帰ってくる日のはずだった。
しかし、待てど暮らせど両親は帰ってこなかった。
両親と共に出かけた者たちが、家に戻ってきたのは、夜九時を過ぎたころ。
帰還の連絡を聞きつけ、自室から出てきた彼女の瞳に、両親は見えなかった。
「とーさまとかーさまは?」
そう無邪気に聞く彼女に、残酷な現実は突き付けられた。
唐突に、目の前に落とされた、首のない二つの体。
「……なぁに、これ」
そして、追い打ちをかけるかのように追加で落とされた、首だけの両親。
「お二人は亡くなったのですよ」
彼女は、目の前の首と体が分かれた死体が、自分の両親であると理解することは、できなかった。
怯えた表情で言葉を発することもできない彼女に、周りの大人たちは嘲笑の表情を向ける。
「あぁ、かわいそうに。まだ5歳になったばかりだというのに、突然両親がお亡くなりになってしまうとは!」
「ですが、ご安心ください。このアイリス家は我々が受け継ぎ反映させていきますからね」
「アルテミシア様は処遇が決まるまでは、こちらのお部屋にいらっしゃってくださいね」
彼女の存在を見せないかのように、外の光を浴びせないように、
真っ暗な部屋に彼女は閉じ込められた。
何日も、何日も、食事だけが運ばれてきて、外の様子を見ることもできない。
外出することは、ままならず、真っ暗な部屋で殴打される日々。
真っ暗な世界での虐待生活が、1週間、2週間、1か月、2か月…。
3か月が経とうとした頃、彼女は締まり切っていない扉から脱出した。
彼女が逃げ出したことに気付かれるのは時間の問題だった。
そして、幼い彼女の逃げ足と、成長している大人の追いかける歩みの速さでは、
どう考えても彼女のほうが遅いことも、誰もが理解していた。
しかし彼女は諦めなかった。
時には草木に隠れ、時には洞窟に身を隠し、時には人の手の入っていない小屋に逃げ込み…。
彼女は必死に逃げて、ついに大きな町にたどり着いた。
しかし、ソレイユ種族らしくない彼女を歓迎するものはいなかった。
「呪われた子」などと、謂れのない中傷を受けて、彼女は路地に一人蹲っていた。
「大丈夫?うちに来る?」
そういって手を差し伸べた、優しい女性もいたが。
「あんたを殺すとお金になるんだよねぇ」
と下種な笑みを浮かべた、彼女の殺害を依頼された殺し屋だった。
彼女は優しい見た目はあてにならないと、この時学んだ。
逃げ出してから半年後のことだった。
すぐに大きな町を離れ、いくつもの村や町を通り、彼女は何度も追ってくる刺客から生き延びた。
その間に、「怖い」と思う感情や、「悲しい」と思う感情を殺して、すべて「苦しい」と思うようになってしまった。
苦しい、苦しい、苦しい。
でも、生きなければ。
彼女は、それだけを胸に必死に逃げ続けた。
時には蛮族から襲われることもあったが、持ち前の俊敏さで逃げ続けていた。
見た目で人を判断してはいけない。
人を悪く言う人は自分を差し出すかもしれないから近づいてはいけない。
悪いことをしている人たちは自分に危害を加える可能性が高いから近づかない。
遠目で困っている人を見ても見ぬふりをする人は優しい人じゃないから近づいてはいけない。
そう学んでいくうちに
彼女は人に頼るということを忘れてしまった。
忘れてしまったというべきなのか、自衛するための本能で考えないようにしていたのかは、彼女にしかわからない。
しかし、逃げ続けた13年という月日は、彼女が自分の心を閉ざすのには十分な期間だった。
忘れられた感情、そして人のぬくもり。
不必要、と彼女の中でどんどん切り捨てられ、生きていくことに必要なことのみ残された、彼女の心。
そんな彼女に転機が訪れるのは、逃げてから13年が経った頃。
彼女は"雨の森"レーゲンヴァルトを彷徨う彼女を嗅ぎつけた暗殺者から逃げ続けていた。
シュヴァルツヴァント山脈へ逃げ込み、再び森へ逃げ込む途中、彼女は足を滑らせ川に落ちてしまった。
流された彼女がたどり着いたのは、ネベル川の下流のほう。
冒険者が通りかかる頻度の高いその川の下流で、流されている彼女を発見した冒険者が、彼女を"百の剣"亭まで運んだ。
彼女が目を覚ました時、川底ではなく見ず知らずの建物の天井だった。
咄嗟に飛び起きた彼女は、周囲を見回す。
路銀が全くなかった彼女が、こんな上等な宿に泊まれるとは思わなかった。
しかし、今寝ているのはどう考えても上等な宿の天井だ。
「おや、目が覚めたのかい。あんた、ネベル川の下流で流されてたのを優しい冒険者が見つけてくれたんだよ」
「………どこ」
「…なんだいあんた。目に光がないじゃないか。お礼も言えないのかい」
「お礼…知らない」
「…知らないぃ?あんた、訳ありかい」
「5歳から………一人で逃げてたから、何も知らない」
「そりゃまた……」
宿の従業員らしき女性は、彼女の横に腰かけた。
彼女はその女性に目をやり、そしてまた外に目をやる。
広く、大きな町が目に入る。
にぎわっていて、犯罪者でない限りどんな人間でも受け入れる街。
「あたしはマリアンデール。ここ、"百の剣"亭の女将さ」
「……………アルテミシア。………………アイリス・アルテミシア」
「………珍しいね、前が家名かい」
「……珍しい…?」
「あぁ、あまり気にしないでおくれ。そういう家がないわけではないからね」
「……おかみ」
「……そうさ、あたしはここの女将だ。客である以上はあんたを守ることもできる」
「……私、お金、ない」
「あぁ、それなら心配しないでいいよ。優しい冒険者があんたの宿代と食事代は先に払ってくれてるからね」
「………そんな人、裏があるとしか、思えない」
「…やさしさに触れる機会が、本当になかったんだね」
「やさしさ、生きる上で、不要」
「不要?」
「やさしさ、偽って、近づく人、いっぱい」
「……あぁ、なるほどね」
マリアンデールは、その言葉の節々から、彼女の壮絶な過去を察した。
「…あんた、今後どうするか決めてるのかい?」
「……逃げるだけ」
「なら、あんた、ここで冒険者やってみないかい?」
「冒険者?」
「そうさね、冒険者になれば力もつけられる。それに、あんたがなくしたもんも取り戻せるかもしれないよ」
「…なくしたもの」
彼女は思うところがあったのか、しばし沈黙し、こくりと頷いた。
「冒険者、やってみる」
「……そうかい、なら、あんたに必要なことはいろいろ教えてやるさ。とりあえず、食事でもするかい?」
こうして、アルテミシアの冒険者生活が始まることとなった。
これが、彼女が冒険者になる前のお話。 |